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NEFERTITI(バースK20)の木村です。
夢の島での、そしてTYCでの活動も20年となりました。 改めて昔を振り返りつつ艇の紹介をさせて頂きます。
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艇名「NEFERTITI」の由来:
昔むかし学生時代、ヨーロッパを流れ歩いていた際ベルリン国立博物館で出会ったNefertitiの胸像の美しさがずっと心の底にしまわれていたのか、夢の島マリーナの係留艇募集があった際稲毛マリーナのディンギー仲間と後先を考えずに応募し図らずも当選、艇の購入を決意した際まず艇名には世界一の美女の名を・・・とクレオパトラよりも美しかったこと確実なNefertitiと命名しました。
(ちなみに当時はツタンカーメンの奥方とされていましたが現在の研究では義母)
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「ヤマハ-31F」:
初代はヤマハマイレディ、現在は2代目ヤマハ31F。現在はTYCレースが活動の中心ですが購入当時は嬉しくて船舶4級免許取り立てにも関わらず下田、大島へ無謀にもクルージングを敢行、全く異なる新しい世界の遊びに皆で大いに感動したものでした。
ちなみに現艇購入のきっかけは前艇で下田近くの小浜へ出かけた際ヤマハの新艇広告写真の撮影現場に遭遇(モデル美女4名)、運よく乗船させてもらい「速いよ!」という一言につられ衝動買い。ちなみに我がNefertiti号は31Fの発売1号艇のはず?です。
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思い出、そして今:
TYCレースに参加はしているもののなかなか艇の性能を引き出せずNefertitiを表舞台に登場させる機会がありません。
唯一記憶に残る晴れ舞台は1997年の大島の「TOKYO’S CUP」での3位入賞。 先行する「ジャーマン・フレース33フィート」艇を最後ジェネカーで抜き返してフィニッシュ。
大島レースの記憶は鮮明です。
現在はやっと上位艇に食い込めるようになった最近の状況を何とか維持したいと願う日々。
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スッキパーの夢:
クルー一同、伊豆・大島で遊んだ独身時代も過ぎ皆結婚。子育てや仕事に追われ殆ど遠征も出来ない時期が続いていますが、いずれは又一緒に大海原に、例えば海外で「チャータークルーズ」でも出来れば本望ですがどんどん時は過ぎ・・・
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ただ体力維持と前向きな姿勢があれば何とかなると信じ、加齢による傷みを克服しながら気持ちだけ匍匐前進させています。
TYCメンバーの皆様ともこれからも杖携えて遊んで行ければと願っています。
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